<インタビュー> 社員が語る
アズワーク製作所(旧・昭和運搬機)の創設社員である大江・松井は、故・吉田会長と50年ものつきあいで苦楽を共にしてきた。ふたりとも会長に仕事を教わり、会長を「親父であり兄のような存在だった」という。吉田会長の若い頃の印象やプライベートの素顔、人生訓…そんな会長の仕事場では見せることのなかった人間像をふたりに語ってもらった。そのありし日の人情味あふれる思い出を、追悼談として数回にわたって紹介する。
吉田隆三会長との思い出(2)
わからんかったら、本を読め
若くして会社を立ち上げた吉田会長にとって、当然のことながら技術であれ、会社の経営であれ、教えを受ける先輩という人がいなかった。そのためもあって、会長は本をよく読んでいたという。
過日、会長宅の書斎を拝見させてもらうと、壁一面の本棚には隙間なく本が詰め込まれていた。蔵書の量もさることながら、実にそのジャンルが幅広いのである。物理・数学の本あり、小説あり、エッセイあり。なかでも、今年の1月に亡くなったアメリカのハードボイルド作家・ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズが文庫本でほとんどそろっていた。会長ほどの年齢でもこういった小説を愛読されていたというのが、意外であった。
大江と松井が会長宅の引越しを手伝ったときも、まず蔵書の多さに驚いたという。本を積むだけで、優にトラック一台分はあった。
松井も技術や仕事の相談を会長にしたとき、「まっちゃん、この本のここを読んどけ」と本を手渡された。それがきっかけとなったのだろう、松井はアズワーク製作所のなかでもマニュアルを隅から隅まで熟読するようになった。
松井が堺工場に赴任したときのことである。堺工場の前任者で年上の従業員から、機械操作のことで「こんなことも知らないのか」といわれてカチンときたことがあった。それから松井は悔しくて毎土曜日になると、その機械のマニュアルを徹夜で読み続けた。
そして、とうとうその機械の操作に関して前任者より詳しくなった。「お前、そんなことどうして知ったんや」とまでいわれるようになった。会長からしきりに「本を読め」と諭されたことが、自他共に認める松井のマニュアル・マニアの礎となったことはいうまでもない。
メリットがあったら、デメリットも考えろ
いっぽう、大江に対する会長の指導法は松井と少し違った。
「わしには、会長はああしろこうしろ、ということは一切いわんかったなあ」
例えば、大江が会長に仕事の相談を持ちかけたときのことである。
「社長(当時)、こういうものをつくろうと思うんやけど」
「やったら、ええやん」
「でも、失敗するかもしれんし…」
「失敗するのはかまわん。いちばんアカンのは何もやらんことや」
そういって、躊躇する大江の背中を強く押した。そしてこんなアドバイスをした。
「ただ、やる前に納得するまで考えろ。それをつくってどんなメリットがあるのか、まず紙に書き出してみぃ。それと、必ずどういうデメリットがあるかもきちんと考えとけ」
そういい終わらぬうちに、会長が大江の考えるものづくりのメリットとメリットを紙に書いてみせたのである。
「とにかく、どっちも考えろ。いまの状況はどうなんか。これをつくったらどんな効果があって、どんなところで損をするのか」
ものづくりは、アイデアが浮かぶとそれがすべてであるように思いがちである。大江は会長からつねに「他にも違う方法がある。それもよう考えとかんとあかん」とよくいわれたそうだ。
松井には本を読め。大江には総合的にものは考えろ。要するに、人を指導するにしても、その人を見てその人にあった指導方法を取る。「そういうことをきちんと見ている人だった」というのが、大江・松井の共通した会長像だったようだ。(続)