<インタビュー> 家族が語る

吉田隆三ご夫人 吉田千世(よしだちよ)さん

100319-_DSC5209.jpg仕事一途であった故・吉田会長が、家庭ではどう過ごされていたのか。仕事場が舞台であったとすれば、家庭は素顔をのぞかせる楽屋である。会長とは学生時代にいとこを通じてダンスホールで知り合ったという奥様に、ふだんの会長のご様子をうかがった。


吉田会長は家庭ではどのような方でしたか――――

若い頃から無口で、商売をするような人ではなかったですね。主人の高校時代からの友人は、口をそろえてそういいます。どちらかというと、研究者肌というか。実家が吉田鉄工所というのを経営していて、兄ふたりを戦争で亡くしていましたから、おじいさまがほんとうは主人に跡を継がせたかったのでしょう。自分もそれを感じてましたから、大学院を出ると吉田鉄工所で勤めたわけです。
でも、ほんとうは京大の大学院に進みたかったみたいです。物理をもっと勉強したいとかで。入学試験を受けたのですが、もし通っていたらいまとはまったく違う人生を歩んでいたでしようね。


お酒がお好きだったと聞いていますが―――――

100319-_DSC5510.jpgお酒はほんとうに好きでした。起きている間中はずっと飲んでいる、そんな感じでした。
胃を切除するまでは日本酒党でした。でもあのぐいのみの器が嫌いでね。どうも器の厚みが嫌いだったようです。
ですからお猪口の、それも薄い、薄いので飲むのが好きなんです。もう薄くて、ぺらっぺらっのが。それをね、自分で気に入ったのを探して買ってくるんです。いまはなくなってしまいましたが、銀座の「陶斎」さんという焼き物屋さんで買ってきたものでした。
で自分は一回はおろしてちょこっと飲んで、「もうよろしい」といって大事にしまっておくんです。私に「割るなよ、割るなよ」というわけですが、そういわれると余計に気になってしまうでしょ。
そうしたら案の定、私が欠いてしまいましてね。黙ってこっそり銀座まで買い行ったんですよ。ところが、一つはあったんですが、もう一つは同じものがなかって、どうしようかと思ったことがありました。
日本酒は主にぬる燗がすきでした。気に入ったぺらぺらに薄いお猪口にぬる燗を注いで。以前はちろり※を使ってましたが、近年は手を抜いて電子レンジでチンでしたれど。(笑)
※ちろり=酒の燗をする道具。「ちろり」と短時間で温まるところからそう呼ばれるようになったらしい。


警察官に食ってかかったこともあったとか?――――

100319-_DSC5218.jpgそうなんですよ。若い頃は朝は起きぬけにまたビールです。当時はそれほど飲酒運転も厳しくいわれませんでしたから、ビールをちょっとひっかけて会社へ行く、というのは毎日のことでした。
一度、飲酒運転でひっかかったことがありましてね。
うちの人はとにかく警察とか役人というのが嫌いな人でね。自分が悪いのにとにかく突っかかっていくんですよ。検問のおまわりさんが若い人だったようで、「りゅうぞうはどんな字を書くんですか」と聞かれるでしょ。不承不承に「法隆寺の隆」と答えると「ホウリユウジのリュウ? どんな字ですか?」って。すると「おまえ法隆寺も知らんのか」と逆に怒鳴りちらしたりして。おまわりさんもほとほと手を焼いたようですよ。
あげくの果てに「かまわんから逮捕してくれ、拘置所に入れてくれ」と開き直る始末でしょ。
おまわりさんも困ってしまい「拘置所はヘンな人間がいっぱいいますから帰ったほうがいいですよ」というわけです。それでおまわりさんが家まで車を運転して送ってきてくれたこともありました。


入院中でもこっそり飲みに出かけられたそうですね。―――――

はい。ビールを冷やすために病室に冷蔵庫を置いていたくらいですから。病室の隣の部屋にはビール瓶やら、缶ビールの空き缶の山ができたくらいです。
もう見舞い客があったりすると、こっそり病院を抜け出して立ち飲みに行くんです。それも点滴をぶら下げたままですよ。
それで国立循環器センターの庭をぐるぐる散歩して。「こうしたら酒のニオイもせえへんやろ」とかなんとかいって。ほんとうにお酒の好きな人でした。一年365日のうち364日は飲んでました。それでも胃を切除したあとはめっきり酒量も減りました。


でも買い物はお好きだったようですね。―――――

100319-_DSC5395.jpgええ、それも一度にたくさん買い込んでくる。でも自分で食べるというより、人様に上げるのが好きなんですね。
もともとが知らない場所へ行くことが好きなんです。それでおいしいものを発見したり、おいしい店を探したり。出張や会社の慰安旅行に行くと、ひとりでふらりと出かけたりしてました。それで「いい店を見つけた」とうれしそうな顔で帰ってくるんですよ。
で、大量にお土産なんかを買い込んできてまして。いまは冷蔵庫があるからまだましですが、若い頃は冷蔵庫がなくて、なのに、「なまもの」をどっさり買い込んでくる。出かける前に「まだありますからね」と念を押しておいても、おかまいなしです。旅先で気になるものを見つけるともうだめなんです。
そうしておいしものを少しずつ味わうのが好きでした。
「人間は一度に二食分は食べられん。おいしいものを少しずついただくほうがよろしい」とよく言ってましたね。


会長は犬がお好きだったそうですね。―――――

100319-_DSC5373.jpgそう、自分が戌年生まれということもあったかもしれませんが、小さい頃から犬は好きだったようです。うちでも犬をずっと飼ってましたから。
いまいるのはボーダーテリアといって、主人が自分でペットショップから買ってきたものです。コロちゃんという名前で、それはもうほんとうに可愛がってました。夜はよく自分の布団のなかに入れて一緒に寝てましたよ。いまはまだ一歳半ですかね。
それで、食事が終わってビールを飲みながら、ふとこんなことをいうんです。
「コロちゃんなあ、わしはもうお前より先に行くからな。ずっと一緒におられへんねん」最近はそんなことをしょっちゅういってました。ですから、私が「なんてことをいわはるんですか。縁起でもない。自分で買うてきゃはった犬ですから、私はよう世話しませんで」というわけです。100319-_DSC5396.jpg
半分は冗談だったんでしょうが、ほんとうにそうなってしまいました。きっと天国でいままでに飼ってきた犬たちとビールを飲みながら遊んでいると思いますね。