<インタビュー> 知人が語る
行きつけのお店のママが語る———モンペリエ 藤井孝子さん
お酒が好きだった吉田会長は、社員を誘ったり、取引先の友人を誘って飲みに行くことが多かった。それでも、ときには自分だけの時間を過ごしたかったのかもしれない。月に1、2回、仕事の帰りにふらりと立ち寄り、カウンターに座って顔なじみの客と他愛ない話を肴に静かに飲んで帰る。そんな隠れ家のような店が、カフェ・ビストロ『モンペリエ』だ。オーナーママの藤井孝子さんは、会長とは30数年以上のつきあいになる。会長が亡くなられる数日前もこの『モンペリエ』に顔を出し、ふだんとまったく変わらぬ様子だった。「お盆休みがあけたらまた来るわ」。そういって帰っていったのが、最期になったという。
Vol.1
きっかけは先輩に連れられて。
JR神戸線「摂津本山」駅北の出口を出てすぐ。近くには吉田会長の出身大学でもある甲南大学があり、夕暮れどきは講義を終えた学生たちでにぎわう。この駅前の一角にサンオカモトビルがあり、『モンペリエ』はその地下1階にある。この店のオーナーママが、吉田会長とは古い馴染みの藤井孝子さんだ。店内には大きなカウンターがあり、静かな音楽が流れている。
『モンペリエ』は昭和49年に、いまとは別の場所でラウンジとしてオープンした。ホステスが数人いて、グランドピアノも置いてあった。ピアニストが弾き語りに回ってくる、そんなおしゃれな店であった。
この『モンペリエ』のお得意客に芙陽工業株式会社の故・田中社長がいた。吉田会長は、この田中社長に連れてこられたのがきっかけだった。会長がまだ40歳前半ぐらいのときである。田中社長は業界の先輩であり、何かにつけ吉田会長をかわいがってくれたようだ。
「田中さんの口癖なんですが、吉田さんのことを『この子、この子』ってよく呼んでおられましたね」
このラウンジ時代には、まだ会長、ひとりでふらりと立ち寄るということはなかった。ほとんど田中さんに連れられて訪れる程度だった。会長の性格からして、ラウンジという店の雰囲気に扉の重さを感じていたのかもしれない。
それが、月に2、3回、それもひとりでふらりと立ち寄るようになったのは、阪神大震災で『モンペリエ』のあったビルそのものが取り壊しになり、店が移転を余儀なくされて以降のことである。
ひとり静かに飲む隠れ家。
新しくなった『モンペリエ』は、カウンターだけの店になった。オーナーママである藤井さんも、当初は前の場所に戻るつもりでこの店をオープンした。ところが震災復興後、元いた場所が区画整理によって駐車場になってしまったため、戻ることができなくなったのだ。
ところが、会長にとっては新しい『モンペリエ』のほうが居心地がよかったようだ。カウンターだけのカジュアルな店は、ひとりでふらりと顔を出すには扉が軽かった。さらに、震災後の復旧で阪急「岡本」駅がリニューアルされ、特急が停車するようになったのも、帰りの足の便を考えると好都合でもあった。
店での会長のようすを藤井さんは、こんなふうに語ってくれた。
「会社の人を連れて来られたことはなかったですね。来られるときはほとんどひとりでした。物静かで飄々として、カウンターで飲んでられました」
ラウンジと違って、カウンターだけの気の置けない店は、会長にとって深呼吸できる店だったようだ。
店に入るとまず日本酒をぬる燗で1合飲む。その後は、ビールを小瓶で何本か・・・。それが会長の飲酒スタイルだったようだ。
「ウイスキーのボトルもキープされてましたが、それは滅多にめしあがられませんでした」
そうして、店で知り合った同年代のお客とひととき四方山話に花を咲かせるのである。
「わりとうちのお店は昭和7、8、9年生まれのお客さまが多くいらしゃいます。そういう方と顔なじみになられて、よくお話をされてました。お互いに北野中学や神戸一中(旧制第一神戸中学校)などの共通の知り合いを見つけては話題にされたりとか」
仕事の話をすることはなかった。というよりは、仕事場とは離れた人間関係に身をおくことで、旧友にも似たひとたちと接することで、昔を回顧しつつひとときの休息を、『モンペリエ』のカウンターに広げて眺めていたのだろう。(続く)
カフェ・ビストロ「モンペリエ」
658-0072 神戸市東灘区岡本1-3-31
サンオカモトビルB1
TEL. 078-452-2940
JR神戸線「摂津本山」駅北口すぐ