<インタビュー> 取引先が語る

大二商事 岡村幸祐さん -3

DSCN0657_修正.jpg経営者には社員や家族に見せる顔とは、また違った顔がある。取引先とのつきあいのなかで見せる顔である。「物静かな会長だったが、私とは気が合ったのか、けっこうよくしゃべってくれはったほうとちがいますか」。そう語るのは、40年来の取引関係のなかで、仕事でプライベートでよく飲んだり、ゴルフに行ったりしたという大二商事の岡村幸祐さんだ。その岡村さん(以下敬称略)に、吉田会長のプライベートな時間と顔を語っていただいた。


吉田会長との思い出 Vol.3

5番アイアンの飛ばし屋

 岡村はよく吉田会長とゴルフにも出かけた。晩年、胃の手術をしてからは、岡村も会長の体を気遣ってあまり誘うことはなくなったが、それでも会長とゴルフをしたのは20回や30回ではなかったという。吉田会長が、兵庫県の花屋敷ゴルフ倶楽部の会員であったこともあって、岡村が昼前に会長室を覗くと、「時間、あるか。ちょっと行こか」と誘われることもたびたびあったという。
 会長のゴルフはどんな印象だったのか。岡村に聞くと、
「会長は飛ばし屋で、ドライバーでもよく飛ばしたはりましたが、会長自身は特に5番アイアンが得意でしたなあ。170から180ヤードくらい…。いや、もっと飛ばしてましたわ」
 5番アイアンはシャフトが長く、ロフトが立っているため、ある程度スコアを整えているひとでも、うまくコントロールして打てる人は少ないという。上背のあった吉田会長は、この5番アイアンで豪快なゴルフをするのが好きだったようだ。
「パワーがありましたわ。腕力(かいなぢから)は相当あったように思います」
 胃の手術をした後は体力も落ち、まとめるゴルフに変わったようだが、一本木なプレースタイルは、仕事もゴルフも同じ姿勢を貫いた。


クラブハウスでの飲み比べ

DSCN0664.JPG 岡村は岡村で、負けず嫌いのところがあった。昔日の会長が、岡村のことをこんなふうに言っている。
「あいつ、ゴルフを始めたばかりの頃は下手くそやったのに、だんだんうまくなってきよる」
 岡村に聞くと、「わたしも凝り性やから、むきになって練習しましたわ」
 このあたりの負けん気の強さは、吉田会長も岡村を認めていた要因のひとつだったのだろう。お互いがお互いを刺激しあい、高めあって行く。ただの取引関係であれば、そうはいかない。
 岡村によれば、ゴルフ場でのこんなエピソードがある。
 岡村の知り合いで板金機械会社の専務がいた。その専務から岡村に、扱っているコイル材を持ち上げて運ぶ機械がないか、という問い合わせがあった。それならば、つくるしかないだろうと吉田会長に相談した。
 それが機縁で、吉田会長とその専務が顔を合わせることになったのだが、ふたりともゴルフ好きなうえお酒も大好きとあって、非常に気が合った。そこで、一度ゴルフにということになったのだが、問題はプレー後のことである。
 そこは専務が会員になっているゴルフ場で、ウイスキーのボトルをキープしているから、「一杯、どうですか」という話になった。20年以上も前の話のことで、もう時効だから、と断ったうえで、岡村が話してくれた。
 クラブハウスでくつろぎながら、ウイスキーを飲みだしたのだが、とても「一杯」では終わらない。ふたりとも飲むわ、飲むわ。さしもの岡村は、帰り運転のこともあるからと、水割りで遠慮しながら飲んだ。それでも、3杯ぐらいは飲んだだろうか。その間、専務はストレート、吉田会長はロックでとグイグイいく。さしもの岡村もあきれるというか、ふたりとも何事もなかったように素面で平然とクルマを運転して帰っていったのには驚いたそうだ。
(続く)