滋賀工場建設の誤算。
平成に入って、昭和運搬機にも小さな動きが起こり始めた。リアアクスルの製造が増大し、加島の工場だけではオーバーワーク気味になり始めた。そこで、滋賀に新たに土地を購入し、工場を計画したのである。八日市と栗東の間、現在の東近江市に1500坪弱の土地を約1億円で購入。建物、諸設備で5億円を投入した。ここへ、リアアクスルの製造ラインを移設したのである。
ところが、滋賀工場を建設した途端、リアアクスルの受注が減り始めたのである。これは大きな誤算であった。世の中がバブルの崩壊とともに、景気が冷え込み、昭和運搬機の経営も苦しくなり始めた。滋賀工場建設のための借金返済が、経営を逼迫した。仕事も少なくなる。そこで、堺工場を閉鎖することにした。平成5年のことである。地価も下がり始めていたが、堺工場は3億円で売却できた。この金で、滋賀工場建設時につくった借財の返済にあてたのである。
無人溶接ロボットの活躍。
溶接ロボットの導入も、業界では先駆けであった。平成元年頃には、複数の自動溶接ロボット、半自動溶接ロボットが複数台アズワーク製作所では稼動していた。とりわけ、シンクロモーションロボットについては、製作メーカーである安川電機に対して、こちらから要望を出して製作してもらったという経緯がある。当時部長であった吉田昌弘(現社長)が安川電機の溶接ロボット取扱講習会に参加した折、「こんな作業ができるロボットを製作して欲しい」という要望を提案したのがきっかけであった。納入されるまで、吉田とメーカーとの間で何度キャッチボールが繰り返されたことだろうか。おそらく当社に導入したものがシンクロモーションロボットの関西1号機となったはずである。
こうしたメーカーとのやりとりができるのも、吉田をはじめ当社の技術者が、単に機械の操作に熟練しているのみならず、何のためにその機械が必要なのか、機械がどう動けば工程管理や生産システムが効率よく流れるのかといった、全体を見通す創造力と問題意識をつねに持っていたからに他ならない。
エクステリアを請け負う。
平成8年、昭和運搬機はエクステリア製品の製造を始める。フォークリフト関連の受注が減少し、その代替製品を探した結果、たまたま知り合いのつてで東洋エクステリア社を紹介され、公園の車止めなどに使っているステンレス柱を請け負ってくれないか、という話が持ち上がった。それまで生産を依頼していたところの品質が悪く、相談を受けたのである。
この仕事はいったん断った。車止めは160種類以上あり、月産2万本という条件である。この数量は、人員・場所・設備等を考慮すると受入不可能であった。だが、フォークリフト関連の受注がどうしても思わしくなく、引き受けることにした。さしあたり、月産平均6000本前後の受注からスタートし、繁忙期で最高1万本ぐらいの生産高であった。
平成12年、500万円を投資して浸漬電解研磨装置を購入した。これはステンレスのサイクルキーパー(駐輪台)やサポートレール(手すり)などの電解研磨を行なうためのものである。さらに同年、ものづくりの足元を固めるために、ISO9002認証を取得。製造品質を高めていくために、さまざまな方策、設備の導入などをはかった時期であった。
滋賀工場のデポ化。
平成13年、フォークリフト関連の設備を充実させるためにプラズマ加工機を設置した。これは、中高厚鉄板の溶断を行なうもので、リアアクスルの材料づくりを自社でまかなうために購入したものだ。リアアクスルの生産に関しては、大きな山こそなかったが、一定した受注はあった。その受注のなかで効率化と省コスト化をはかるための数々の工夫を行なった。
しかしこの当時、リアアクスルの全生産量はピークをすぎ、加島の工場で十分にまかなえるようになっていた。加えて、滋賀工場は本社から離れていては人材も思うように教育できず、また十分な人材の確保もむずかしかった。だが、ここはもともとTCMに近いところから、敷地を購入した場所である。生産拠点とするより、TCMへの配送拠点としたほうが小ロット時代の対応力も生まれる。そこで、平成13年に生産拠点としての滋賀工場は閉鎖したが、現在はデポ(保管所・配送中継所)として活用している。
新生 アズワーク製作所の誕生。
平成16年、昭和運搬機株式会社は「株式会社アズワーク製作所」に社名を変更した。よりものづくりにこだわり、金属加工のAからZまでプロフェッショナルとして意気込みを新たに取り組もうとしての社名変更だ。
ものづくりにかけては、どこにも負けない技術、ノウハウ、そして匠の技を伝承する職人を抱えているが、いかんせんそうであるが故に、宣伝下手であった。新しいスタートを機会に、ホームページによる技術力のアピールし、大江俊樹、松井克直、田中光一ら名物社員の紹介(「名物社員登場」コーナー参照)なども積極的に始めた。塀に囲まれた金属加工所では、技術や設備の価値、職人の気骨などが外から見えないからだ。
平成19年には、吉田隆三が会長に退き、吉田昌弘が社長に就任した。これを機会にもう一度、金属加工のプロフェッショナルとしての原点に立ち帰ろうという意気込みもある。アズワーク製作所では異事業であったエクステリア分野からも撤退を決めた。東南アジアでの安価な製品が幅をきかすようになり、当社が本来指向する分野でもなかったため部門を完全に廃止し、それに充てていた工場スペースをすぐさま転用して、大型フォークリフト10t、15t、23t用のリアアクスルと、大型用アタッチメントの生産の生産にシフトした。事業の軸足をフォークリフトに置きながら、そのフォークリフトを使ってより大きな時代を持ち上げていこうという目論見である。