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名物社員登場

川原 琢哉(かわはら たくや)

その14 「頼れるみんなの副キャプテン。」

川原 琢哉

 33歳。まだ若いが、アズワーク製作所では中堅になる。というか、入社して12年という社歴は、吉田新社長のもとに若返り化しているアズワーク製作所のなかでは、古株といってもいい。若い社員にとっては、年長の職人さんたちとの間を取り持つパイプ役的存在でもある。

 その頃、アズワーク製作所には、川原のおじが務めていた。そのおじの勧めで川原が入社することになった。もともと建築現場で働いていたため、それに比べるとアズワーク製作所での作業は楽だったという。まだ二十歳を過ぎたばかりの若者だった。

 当時、アズワーク製作所は60歳前後の職人さんが多く、若くして入社した川原は、年配の人によくかわいがってもらった。そのせいもあって、年配の職人さんたちとは気心が知れていたし、後から入社してきた若い社員からは年齢が近くて兄貴のように慕われた。だから、この会社ではそれぞれのパイプ役のようなポジションに立つことが多かった。

 仕事はアタッチメントの組み立てを管理している。アタッチメントの組み立ては工程の種類が複雑で、若い頃は先輩の指示通りにやっておけばよかったが、定年で熟練者が一人ふたりと退職していかれると、自分が頭に立って指示しなければならない。そうなると誰かに頼ることもできず、そこからむずかしい工程を一人で考え、全体の指揮をとるようになって覚えていったという。若いが、もう熟練者である。

 昼休みには後輩社員たちと一緒にサッカーをして遊んだりしている。休日には自ら声をあげてバーベキューや飲み会を企画したり……。みんなで「何かをする」ということが好きなのだ。若いひとたちだけで盛り上がることもあれば、全社的なイベントになることもある。川原の人柄と社内でのポジションだからこそ、そうした役割が可能になるのだろう。

川原 琢哉

 趣味も多才で、多彩だ。高校時代までは野球をやっていた。その経験があって、いまでも地元茨木のソフトボールチームに所属している。庄栄公民館というチームだ。地元では常勝のチーム、といいたいのだが、そうでもないらしい。やはり社会人のチームにありがちな、メンバーの出入りがあって、勝ったり負けたりの成績。彼自身も高校時代に鳴らしたサードを守ることがあれば、ショートへまわったり、キャッチャーをしたりと、定まったポジションはない。その時々のチーム事情に応じて守備位置は変わる。

「ここ一年はあまり練習には出てないですね。試合のあるときは出ますけど、あまり練習熱心なほうとはいえないかな」

 野球、サッカーのほかに、年に一度か二度、ラフティングに行くこともある。また、釣りに行くこともあれば、「とにかくいろいろなことをやりたい」のだそうだ。飽きたから次々と目移りするというわけではなく、「次にやりたいことが見つかるまで、やる」。そのやりたいことというのが「まだやったことのないこと」なのだそうだ。

 お酒もよく飲まれるのでは? という質問には「この会社は酒豪が多くて。誰もがみんな酒豪だ、酒豪だといってますから、僕はまあ普通ということで」とのこと。でも、飲んで帰るのはほぼ毎日だとか。若いひとを誘っていくことも多い。

 酒の席で仕事の話はあまりしない、というより「したくないですね」という。そのあたりが、若いひとたちから気のおけない兄貴的存在として頼られるいちばんの理由なのかもしれない。

 いまアズワーク製作所は、以前にくらべて平均年齢が下がり、若い人たちの集団になりつつある。かつては世代間のコミュニケーション・ギャップで仕事の流れに齟齬をきたすこともあったが、そういった意味では若い世代の時代となって仕事の流れがスムーズかつ合理的に進むようになった。若い力が相互に連携しあって、仕事がやりやすい環境になっているという。そのなかで、川原の立場はというと、若いひとたちのキャプテンのような存在だろう。しかし彼は「いや、副キャプテンぐらいですね」と笑って答えてくれた。

 キャプテンがいない、副キャプテンだけの職場というのも、ある種、理想的なチームワークのとれた環境であるように思える。