<インタビュー> 社員が語る

oe-matsu01.jpgアズワーク製作所(旧・昭和運搬機)の創設社員である大江・松井は、故・吉田会長と50年ものつきあいで苦楽を共にしてきた。ふたりとも会長に仕事を教わり、会長を「親父であり兄のような存在だった」という。吉田会長の若い頃の印象やプライベートの素顔、人生訓…そんな会長の仕事場では見せることのなかった人間像をふたりに語ってもらった。そのありし日の人情味あふれる思い出を、追悼談として数回にわたって紹介する。


吉田隆三会長との思い出(5)

あいつにはこういうところがある

かつて年末になるとひとつ恒例の行事があった。会長が社員の一人ひとりと面接し、ボーナスを手渡し、同時に昇給について面談するのである。そのことについて、大江は
「とにかく人をよく見てはりましたね。あいつはこうこうで、こいつにはこういうところがある。何気ないところにもちゃんと目を行き届かせていて、人を見ておられるんです」
だから、この額のボーナスであり、これだけの昇給なのだと一人ひとり説明するのである。
ときに大江が、
「彼はもう少しあげてやったらどうですか」
というと
「いや、あいつにはこういう欠点があるからこの額なんや」
とズバリいってのける。その指摘が実に的を射ているわけである。それが会長の観察力というか、人物評価も適切で、誰も文句のつけようがなかった。
かといって、杓子定規に人を測るのではなく、人情的な部分もあった。
松井がまだ若かった頃、自分より後から入社してきた社員で年長というだけで自分より給料が多いという割り切れぬことがあった。そこで腹を立てて「なんで俺の給料があいつより下なのか」と会長に食ってかかった。そのときの会長の回答がふるっている。
「まっちゃんなあ、お前はまだ独身や。家族もいない。それやったらこの金額で十分足りるやろ。けどな、あいつには家族がおる。子どももいる。それだけ生活にお金もかかるわけや。お前も年とってきたら、そうなるやろ。そしたら、若いもんに頼らんならんようになる。そのときのことを考えたら、いまはその給料でええやないか」
「そんなものなんか」
松井も若かったせいもあり、そう人情がらみで返されると何も反論できなかったという。

山ほど買い物をして社員に配る

物を買い込むのもまた、好きだった。アズワーク製作所では、年の暮れに餅つき大会をしてその年を締めくくる。社員全員に配る餅をつくのだから、半端な量の餅つきでばはない。餅米8斗はつく。
朝から社員が参加して代わる代わる餅をつく。松井が朝、会長の姿を見かけたかな、と思ったらいつのまにかいなくなっている。そして、昼過ぎにまたふられと現れる。毎年のことであるが、会長は市場へ行って、魚や迎春の食材を山ほど買ってくるのである。それを社員に配るのだ。
会長の買い物ぐせは出張に行ったときも出る。その土地その土地のうまいものを見つけては、抱えきれないほど買い込んでしまう。それを社員や自宅の近所の人に配るそうだ。妻が「お土産を買うのはうれしいのですが、買い過ぎないでくださいね」と頼んでも、買ってくるのである。
もちろん、人にあげてよろこんでもらうのが好きなのだが、会長自身はそうして、町の風情を楽しんだり、おいしい店を発見することが、根っから好きなだ。
昨年は、会長が亡くなったため恒例の餅つき大会は中止となった。今年の暮れは、恐らくまた恒例行事として復活するだろう。餅つき大会がないと、やはりアズワーク製作所の正月は物足りないと思う社員は多い。しかし、8斗もの餅をつき終わっても、市場から山ほど食材を抱えて帰ってくる会長の姿はもう見られない。
「会長、そんなに買い込んでどうするんですか」
そういっても、にこにこしながらみんなに分けてまわる会長の笑顔はもう見られない。
きっと、天国で自分だけの酒の肴にしながら、みんなが汗して餅をつく光景を楽しんでいるのだろう。(了)